恩師、内田満先生

2007年2月9日


大学の恩師、内田満先生が、1月26日、心筋梗塞のため東京都内のご自宅で亡くなられた(77歳)。早稲田大学第一政治経済学部政治学科(学生時代、夜間の政治経済学部、法学部、商学部は新設の社会学部に統合されていてすでになかったが、政経学部という名称になってからも、しばらくは長い名称を使っていたように思う。)のゼミでご指導いただいた内田満先生の訃報が自宅のFAXに入ったのは、数日後の深夜。自宅のFAXは古いタイプで、ジ~ジ~とゆっくりと出てくる。「夜遅いFAXは不吉ね。」と傍らの家内。「ええ、ウソ...」私は凍ってしまった。たとえようのない喪失感。今年も先生から年賀状をいただいたばかりだ。明後日(2月2日)、新聞に出るとのこと。私は覚悟した。現実を受け入れざるを得ない。
先生からは卒業以来、ずっと年賀状を頂戴している。極めてお忙しいのに、毎年、お気持ちの伝わってくる言葉が数行書き添えられている。ずっと同じ万年筆とインク。言うまでもなく、一枚一枚大事に取っている私の宝だ。1枚の小さなはがきではあるが、自らの思いの万分の一も果たせずに地方に生きている私にとっては、実に大きな存在である。先生のゼミは、当時、間違いなく学部の人気看板ゼミであり、マスコミにもよく出ておられ、各方面でご活躍される様子は、私どもゼミ生にはとても誇らしかったものだ。その後、学部長、日本政治学会理事長、日本選挙学会理事長、司法試験委員等数多く歴任された。総長選挙では僅差で他学部の教授に敗れたものの、先生の名声は落ちることはなかった。財政難とはいえ、ホテルの経営などは早稲田のするものではないと、総長選挙では主張されていたようにうかがっている。アメリカでプラグマティズムを学ばれた「先進的」な先生であったが、「良きものを後世にとの、熱きワセダを心に秘めておられたように思う。
内田ゼミは、マスコミゼミといった方が良いくらい、新聞、テレビ、出版界など、マスコミに数多くの人材を送り出している。もちろん、総合商社、金融機関、その他にもあまたの優秀な人材を輩出している。今、先生は彼岸において門下生の活躍を喜び、応援されているに違いない。また、私の様に出来の悪い教え子にも、慈愛に満ちたお顔で、見守っていただいているように思う。お元気なときにお目にかかりたいとの思いは果たせなくなり、実に心残りではあるが、本当にありがとうございました。ご冥福を心からお祈りいたします。